さとらないの日々

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[漢方の心理学]まずは「心はその人の主体である」ということ

 人間を一つの個体として外から見てみると、まず言えることはその人の心とはその人の主体であるといえる。主体とは自分の中に基準を持っていて、それに基づいて判断することである。人はそれぞれ自分の意思や目的を持っていて、やりたいこともある。そのように自律的な判断力を持っていて、それによって行動するものを主体といっている。ただ主体といってもさまざまな主体がある。

大きく分けると主体とは、2つの面(インプットとアウトプット)がある。1つめの主体は、「認識の主体(インプット)である」ということ。人は、外の世界のいろいろなものをその人なりに認識して、それをもとにして生きている。「きれいな人だなぁ。友達になりたいなぁ」などと認識をもとにして人は行動するようになる。次に2つめは「行動の主体である」といえる。一つ目の「認識の主体」によって、「何かをしたい」と心に願望・欲求・意図・目的をもつ。そして自分の基準にそって行動するのも自分の心である。きれいな人に花を贈ったり、手紙を書いて思いを告げたり。思いがとげられなくて、嫉妬して意地悪をしてしまったりするのもその人の心(主体)である。他人が人の性格を見るのに、その人がどう行動するかで見るのは、そのひとの主体(心)は外界をどう感じて(入)、どういう基準で行動(出)するのかを見て判断している。

 東洋医学では、心を『神(しん)』と言っている。「神」の広義的意味では、生命エネルギー活動全体(顔色や仕草など)を指していて、元気なのか病的なのかなどが外に現れた徴候をさしていう。が、狭義では、思惟・意識活動(心・主体)をさしている(神明ともいう)。