最近 更新していなかったので、ごめんなさい。
これからは、まめに書きますよ~。
安物買いのクセをなおしたいよぉ
先々週、アマゾンのタイムセールで安物の中華製のノンフライヤーを買いました。
でも、これが強烈な消毒のにおいみたいなものを発し、「オーマイゴッド」
取説を見てみると変な日本語で「はじめはすごいにおいなのは普通です」って書いてある。え~っ、どう見ても普通じゃないだろう!って思ったよ。
もんもんとして、アマゾンの他のノンフラヤーをみていたら、つい4倍もする日本製のノンフライヤーをポチってしまったぁ。
はやく「安物買いの銭失い」のクセを直したいよぉ
四象医学を漢方的に解説すると
私、先週から糖質ダイエットを始めたのよ。
ホモサピエンスの10万年歴史の中で、でんぷん質で栄養を取るようになってから2000年(弥生時代ぐらいから)ぐらいしかたっていないので、でんぷん質や糖質をカットすることで、コレステロールの生成を抑え(糖質があがるとインシュリンが余分な糖をコレステロールにしてしまう)、ダイエットするというわけです。私は縄文の妖怪ですから、これに飛びついたのですが、一週間たってもぜんぜん痩せません。
「なんじゃこりゃぁ~」
やっぱ、焼肉とお酒をやめるべきかなぁ(過剰カロリーのかたまり)。
というわけでもないんだけど、今回は韓医学の四象医学を取り上げます。
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四象医学(韓医学)を漢方的に使ってみよう
体質論(先天的な体質の違いによる特徴と治療原則)の諸説の記述は「黄帝内経・霊枢」に多く見ることができる。『霊枢・陰陽二十五人篇』では、陰陽五行学説及び五色、五音によって二十五種類の人の特徴を述べ、それぞれの肌の色や体型・性格及び時令による適応力の差位を述べている。そして『逆順肥痩篇』では、人体の肥痩、年齢の高低、肌の白黒、体質の強弱に対する治療原則の違いを、『通天論』では、太陽に属す人・少陽に属す人・太陰に属す人・少陰に属す人・陰陽和平に属す人に分類し、それぞれの属性の人の意識や性格上の特徴を示し、その人に適した治療の原則を述べている。
しかしまだ系統的な体質の分類のなかで、疾病と治療方法などの具体的な体質学説の体系的形成までには至っておらず、体質論と呼べるほどの理論体系が(中医学では)まだ未整理であると、「中医体質学入門」の著者、王埼・成増秀らは言っている。
伝統医学としての視野を(中医学に限らず)大きく広げてみると、体系的体質論としての潮流を東医学の中で2つの大きな潮流をみることができる。一つには、日本の「一貫堂医学」である。森道伯・矢数格らの一貫堂医学では、現代人の体質を、瘀血証体質・臓毒証体質・解毒証体質の三種類に分別し、それぞれの疾病に対しての方剤をあげ、かなりの効果を上げている。そしてもうひとつには、韓医学中の四象医学である。そんなわけで、今回は『四象医学』を取り上げたい。(東医寿世保元より)
四象医学は、イ・ジェマという天才が打ち立てた理論だが、霊枢の通天論の太陽・少陽・太陰・少陰の分類と同じく、人の先天的体質を、太陽人・少陽人・太陰人・少陰人の4つに分類した。さらに上半身が発達して下半身が未発達な逆三角形の骨格(▽)をもつ人を『陽人(太陽・少陽)』とし(上実下虚証)、上半身が未発達で下半身が発達している骨格(△)を持つ人を『陰人(太陰・少陰)』(上虚下実証)にわけ、その中で骨が太くガタイがいいものを太陽人・太陰人に、少し細めの人を少陽人・少陰人に分けた。
また臓腑の位置が、上焦に肺・心、中焦の上に脾、中焦の下に肝、下焦に腎がある(東医寿世保元・臓腑論より)ところから、太陽人は上半身が発達しているので肺が強く下半身が弱いので肝が弱いとし、少陽人は脾が強く腎が弱い、太陰人は肺が弱く肝が強い、少陰人は脾が弱く腎が強いという、骨格の発達から生まれつきの臓腑の強弱を指摘した。さらに精神が肉体に影響し、肉体が精神に影響するという考えから、感情の「太陽人=怒>哀・少陽人=哀>怒、太陰人=楽>喜、少陰人=喜>楽」などが各タイプの体に影響を及ぼすと唱えた。
太陽人や少陽人は上実下虚証なので、腸や腎が弱く二便の出が悪くなりやすく、また生体の熱が二便から排泄されにくいので、体に熱状がこもり溜りやすくなる。漢方での感情は、気の動きであり、生体の代謝に影響を及ぼし、身体の行動を起こさせるが、熱がたまりやすくなると感情の表出が激化する(興奮しやすい)。また太陽人は肝が弱いので疏泄失調という形で停滞を起こしやすい体質なので、昜怒になりやすく興奮が激化しやすい。さらに気を消す『哀』という感情も、溜まった熱や怒のエネルギーも多いので、哀しむ様子もかなりオーバーに見える。
さらに『楽』であるが「逍遥(のびやかさ)で心地良い感じ」という意味である。太陰人は肝が強いので疏泄作用も強く、体やココロの逍遥(のびやかさ)の強さを基本的に備えている。だから楽しいことが好きだし、動きたがらないものぐさでもある。あまり楽や喜を求めすぎると、経絡の流れが悪くなり気血の停滞を起こし、肺が弱いので百脈を朝する力も弱く、感情の表出も少なくなり、悪くすると感情障害(うつなど)を引き起こす原因ともなる。太陰人は上虚下実証なので、汗をかくことで肺の働きを助ける。(たまに多汗症で相談に来る人もあるが、太陰人の方には「汗は体の弱いところを補っているのだから、汗を恥ずかしいもの、悪者としないで、有益なものとして考えてほしい」と言っている)
太陽人や少陽人のような上実下虚証は、熱がこもっているので「怒」や「哀」だけではなく、他の感情の表出も起こりやすく、熱をためやすく、また皮膚や粘膜に炎症を起こしやすいので、皮膚疾患やアレルギー性疾患になりやすい傾向がある。ただ太陽人だけは、溜め込む熱がかなり多く、難病になりやすい。しかし太陽人は人口の0.1%未満しかいないので、日常はほとんど見かけない。ちなみに少陽人は人口の30%、太陰人は40%、少陰人は30%である。
少陽人と太陰人と少陰人
少陽人は、上半身が発達して、がっしりした感じでしっかりしているが、下半身は足も細くお尻も小さい。感情表現も豊かで判断力や決断も早いが、せっかちで慌て者。つまらないことでも興奮しやすく感情がコロコロ変わるが、正直であけすけ。熱がこもりやすいのでアトピーになりやすく、また腎が弱いので膀胱炎・腰痛・不妊症になりやすい。漢方薬を長期的に温性薬を使うときは、途中に炎症の有無を確かめながら服用してもらう注意が必要(特に少陰人タイプの少陽人に注意)。一貫堂の解毒証体質の処方(温清飲加減)を使うのもこの体質に多く、かなりの難病も一貫堂処方で劇的に効くことも多い。
つぎに太陰人(上虚下実証)は、心肺機能が弱いのだが、食べる消化吸収能力が他の体質に比べて突出して強い。たいていの食べ物は美味しく食べるので、背も高く上半身は筋肉質ではないが胸板は厚く(上虚)、腰つきがよくお尻も大きくどっしりしている(下実)。性格も肝が強いので逍遥(のびやか)で楽しいことを好むが、プレッシャーやストレス(疏泄失調)にとても弱い(俗に言う「ビビリ」)。心肺機能が弱いのだが、もともと汗っかきなので、汗をかくことで水分代謝や経絡の流れを助けている。肺には感覚や感情の動きを助ける『魄』という神があるが、魄が弱いので、感情を出すことが下手で、冷静に慎重に物事を進めようとする(石橋を叩く)。そこが過度になると完璧主義や執着による苦労が多くなる。
太陰人は食欲があり胃熱を持つことが多く、大黄もよく効くタイプなので、一貫堂の臓毒証体質の防風通聖散がよく効く体質でもある(このタイプで防風通聖散を使い1ヶ月で5kg痩せ、すこぶる体調が良くなったという経験多々あり)また発汗が怖くないので、傷寒の場合、麻黄湯系の処方でしっかり発汗解表する方が効果的。表寒裏熱証になりやすいので、弁証の時は「表裏双解剤」も頭の隅においておくとよい。
つぎに少陰人(上虚下実証・脾弱・腎強)。イ・ジェマは「傷寒論は少陰人のためのに書かれた」というぐらい基本的に寒証である。上半身は未発達で痩せていてお腹や腰も細めだが、下半身のお尻の肉付きはよい。性格もおとなしめで自己主張が苦手。従順で人との争いを嫌う(気が少なく争うパワーが少ない)。また些細な事で深く傷つく繊細さをもつ。脾が弱いので、食は細く、「食」への執着は少ない。心肺機能が弱いが、少陰人は汗をかくと気虚を起こしやすく疲れるので、散歩や体操で全身を動かすのが良い。陽気が少なく太陽を浴びたり風呂などで体を温めるのが有効。少陰人のベストコンディションは「脾胃が落ちていないで、食べ物がしっかり消化できている」こと。日頃から胃腸を補う六君子湯や補中益気湯なども常用するとよい。体を温める精力剤や強壮剤は少陰人にこそよく効く。傷寒のときは、どちらかといえば桂枝湯系を使う。
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先週かな、日刊スポーツの「いまさら聞けないセックス講座」というコロムで、この「四象医学で、体質別精力増強」みたいな記事がでたのよ(誰も見ていないと思ったから取材受けたんだけどさ)。それをたまたま家で取って見てた人がいて、「ぶぶぶさんは、実はセックスの大御所だったんですねぇ。私は一度も教えを受けたことがなかったですが(笑)」って言われて、「本当は、私、下のほうは弱いのよ」って言ったんだ。
日刊スポーツから掲載の新聞が(5回シリーズだった)どかっと送られてきて、それを見た息子が、「もう少し誇れるような記事の取材をしてほしい」というんだ。
いままでいっぱい誇れるような取材受けてるんだけどなぁ。
でも、下の話しはキライじゃないよ(笑)。
いまの漢方の流派は4つだよ
先日アレルギー性鼻炎の講演で、まくらを考えていたんですが、そのまくらをワープロに書いたので、ここに載せておきます。
ひまだったら、読んでね。
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皆さんこんにちは。
今日は、漢方をよく知らない方もいるようなので、日本の漢方の現状を少しばかり話したいと思います。
今、日本では、大きく分けて4つの流派があります。一つ目は、後世方派、つぎに古方派、そして考証学派、あと最近多くなってきた中医学があります。これらの流派は歴史的な背景がありまして発生してきました。少しこの辺をお話しておきます。
つい先日、TBSでJINという番組をやっていました。いまもBSでやっているようですが、これを見た方、おられますか?おおお、おられますね。
あの番組は、幕末の江戸に、現代の脳外科医がタイムスリップしてしまう話です。主役の南方仁さんは、医療機器も最新の薬もなにもない時代に降り立ち、孤軍奮闘し、エーテルや消毒用の焼酎などで、カナノコとノミで頭の手術までしてしまう。あのエーテルってどこにあったのかも不思議ですが。
またアオカビから、ペニシリンを抽出して女郎の梅毒をなおす。もう何でもやってくれっていうぐらいとにかくすごい。
その中で、緒方ゲンアンら蘭方医と敵対している漢方の大御所こそが、それが日本の最高の、いやあの当時は世界的に診てもトップクラスの医師であり、漢方家だったのが、多紀元堅ですね。
多紀元堅は、折衷派とよばれておりますが、なんの折衷かと申しますと古方派と後世方派の折衷。古方派と後世方派は、どんな感じだったかと申しますと、安土桃山時代から江戸時代初期に、中国の金元の医学(李朱医学ともよばれますが)が日本に広まりました。それまで坊主が医者をかねていたんですが、その頃から頭を丸めない漢方医が出来てきました。曲直瀬道三とか、田代三喜さん。この方たちの広めたのが、後世方派と呼ばれています。曲直瀬道三がかいたとされる「衆方規矩(しゅうほうきく)」は、江戸時代、生薬問屋には必ず置いてありまして、びにいりさいにいり、こんな病気にはこの処方がいい、風邪を引いたらまず香蘇散を飲ませて様子を見る。頭が痛ければセンキュウ・ビャクシを加えるなどなど、今でも読み物としても面白い。
そして江戸も中期に入りますと、古方派と呼ばれる、傷寒雑病論を中心の経典にした一派が生まてくる。古方派といっても、後世方派より後に生まれました。彼らは「理論なんかいらねえ。治ればいいんだ。それには経験的で実践的な古典の傷寒論に帰るのが本筋だ」ととなえ、理論が少ない実践的な傷寒論という経典から学ぼうとしたんです。なぜこんな一派が生まれたのかは、時代の流れがあります。
江戸時代は、皆さんもご存知のように鎖国をしておりまして。人は他人の言うことを聞かなくなると、大体、独自な、変わったおかしな考え方をするようになるようでして。
江戸時代初期は世の中、朱子学というのが主流になり、侍はみな学ぶようになって官学化し、昌平坂学問所では朱子学を中心において拡充されるようになったのですが、朱子学というのは「宇宙は理によって成り立っている」と唱えた学問なんですね。
理とは、物理の法則みたいなもので、「自然の理があるように、人間にも理がある。だから理を追求しよう」といって、道徳的なことも思弁的になっていきました。
それから思弁的なものを批判する一派、荻生徂徠とかの古学派というのが登場してきまして、理屈よりも経験をよりどころにすべしと、論語などの原典にもどることを主張したんですね。難しい理屈よりも、実践が重んじられる。
そして医学の分野も、それまでは中国(金元)の医学を受けて、陰陽五行論や五臓六腑論など理論的な李朱医学が中心になっていたんですが、これに反発する古方派がでてくる。「陰陽論は天地の気だから、体には関係ない」と言い出した。吉益東洞らは「陰陽は天地の気なり、医にとること無し」といって、我々のいる宇宙と同じように、人間の中は小宇宙であるとする、「人間=小宇宙」の人間観を否定していくんです。
そして古典の傷寒論にある理論だけを取り上げた。経験的、実証的な治療医学こそが漢方の本流であると言って。
ただ、こういう経験至上主義が、のちの蘭学に取って代われる原因をまねいたとも言われています。
そして江戸時代の後期になりますと、そんな古方派とさらに後世方派も、どっちも大切にしようという学派がうまれる。それがJINに出てくる多紀元堅らの折衷派と呼ばれる人たち(考証学派ともいうんですが)が出てきた。かれらは傷寒論・金匱要略などの経験実証医学も大切にするし、李朱医学の陰陽五行論や五臓六腑論なども大切にしていいところを取り込んでしまおうとした。
そんな彼らは、漢方の五経と呼ばれているすべての経典を深く読み取り、実力的にも世界一の医学を学んでいたと思います。また将軍の侍医となり、飛ぶ鳥も落とす勢いがありました。
地方から出てきて医学を学ぼうとする若者は、こぞって医学館の門をたたき、書かれた書物は、中国でも高く評価されました。
ですが、徳川の衰退と共に、明治になり、日本の医師制度が西洋医学に統一され、漢方では生業が立ち行かなくなり、本というのは高いものなのですが、漢方の本の価値は地におちまして、そこらへんに捨てられるようになったんですね。
そこで、漢方の本を安く集めて、中国に送ったのが、孫文ら中国の知識人たちです。
だから多紀元堅などの本は、いまでも中国語で出版されて、私でも読めるんですね。
かたや中国の漢方では、日本の比ではなくいろんな流派がありました。
中国で漢方家の集会をしようとしたのですが、いろんな流派があってひとつのところに集めることが出来ない。みんなで頭を寄せて考え、経典のひとつである傷寒論を書いた張仲景象を作ってそこに集めたぐらい色々な理論がある。
そして戦後、毛沢東さんが、田舎のほうにも医療をというので、西洋医学の薬は高くて手に入らない。だから手軽に手に入る漢方の学校を作ろうとする。しかし中国にはいろんな流派があって、とてもとてもまとまらない。
でも、毛沢東さんが言ったことは神の声に等しいんですね。
鶴の一声の号令のもと、もうとにかく作っちゃえと、中医学院というのを作った。
そして理論もごちゃ混ぜにして、中医学という名前にしたのですが、それが前の中医学の実体でした。
しかし、中国人は国家をあげて優秀な人が作るものですから、だんだんいいのが出来る。そして中医学院も大学に昇格され、いまや世界的にも一番とも呼べるようになってきたんです。
それが日本にも入ってきまして、中医学派として、ここ2~30年、だんだん増えてきまして、薬局漢方では主流になりつつあります。
これまで駆け足で話してきましたけど、日本には、古方派、後世方、考証学派、中医学派の4つがあります。
これをひとつの漢方団体としようという動きもありますが、各流派で話している言語、それ自体に違いがあり、お互いの言っていることが通じないという弊害もあります。
たとえば、「実証」という言葉ですが、古方派では「がっちりした丈夫な人」という意味で使われますが、考証学派や中医学派では、「邪が過剰」な場合を指します。「実」とは過剰という意味でつかわれ、邪実と呼ばれています。
さらに虚証とは、「やせて弱々しく冷え性」みたいなイメージで捉えられていますが、虚は不足の意味で、「虚証」は正気の不足、正虚の意味で言われます。
実は江戸時代は、古方派も「実は過剰、虚は不足」という意味で使ってたのですが、明治に入り、伝統医学は家伝薬ぐらいにしか使われず、さらに戦争が始まり薬草が手に入らなくなり、絶滅寸前の漢方家達は、薬草もないので日本独特の薬草を作る。「人参がないから、おらの裏山にある、竹節人参を使うべ」と四苦八苦していた。
そして戦後、若い漢方家を育てようとしたのですが、まずはわかりやすい方法として、実証とは「丈夫でがっちりした人」と言う意味で使ったようです。
山田光胤先生は、実証と虚証の間のひとを中間証と呼ぶようにしているところをみると、変更する気は、当分ないかとも思います。
もうひとつ大きな違いが、証の捉え方です。
古方派は、「方証相対」といいまして、処方名がそく証である(証とはあかし、その人の状態を言います)といいますが、かたや中医学派や考証学派は、「証とは、今、体に何が起こっているかをあらわすあかし」として『証』を使います。
だから古方派が、「この人は実証で、葛根湯証だ」といえば、われわれは「この人は、見た目が丈夫そうでがっちりしていて、いま風寒の邪に犯され、頭痛・発熱・悪寒があり、方が凝っていて、葛根湯を使いたいタイプなんだな」と通訳が必要なわけです。
ブーバーの「我と汝」(カウンセリングの基本だよね)
ユダヤの思想家マルティン・ブーバーは、人間には二つの交流の世界があるという。ひとつは「我と汝」の関係性。一人称の私が、二人称の君と、直接向き合って対話する関係世界。もうひとつは「我とそれ」。一人称の私が、三人称の事物的現象を冷たく眼差したときに成立する関係世界。つまり一人称の私にとっては、対話を交わし心の交流を行いうる二人称の出会いの場面と、およそ対話的交流をかいた疎遠な第三者的な三人称の事物的対象世界の場面との二つの世界がある、言っているのである。
ブーバーによれば、「人間は、それと指しうる事物的対象なしでは生きることはできないが、しかしそれのみで生きるものは人間ではない」「すべての真実の生とは、出会いである」という。
近代社会は、事物的世界を増大させ、共同体を破壊し、個々人を孤立せしめ、「人間の孤独の新しい増大が同時にたち現れた」。けれども「人間は、自分の自己へと関係することによってでなく、他の自己へと関係することによってのみ、全(まった)きものたりうるのである」という。
汝との対話的なあり方の中でのみ、人間は本当に充足されうる。つまり人間の「自己」は、ほんとうには、「汝」と呼びうる「他者」との「出会い」において初めて成立しうるといっているのだ。
江戸時代の庶民のおかずランキング
江戸時代の庶民はどんなものを食べていたのでしょうか。ただ江戸時代の史料は日常のことは少なく特別なことや非日常的なことが多く、長屋の日常を伝える資料はきわめて少ない。『為御菜(おさいのため)』という庶民のおかずの番付表(ランキング)があったのでそれを見てみましょう。大関は「八杯豆腐」水6・酒1・醤油1の汁で絹ごし豆腐を煮て大根おろしをかけて食べるだけの簡単なおかずだが、人気ナンバー1だ。関脇は『昆布油揚げ』小結は『きんぴらゴボウ』前頭は『煮豆』『焼き豆腐のすまし汁』『切り干し煮付け』『小松菜の浸し』と続く。四季の部では、
春 けんちん ワカメのぬた 木の芽田楽 タタキゴボウ
夏 冬瓜くず煮 インゲン煮浸し ナス揚げだし ナス焼き
秋 若菜汁 芋の煮転がし 風呂吹き大根 とろろ汁
冬 コンニャクおでん 納豆汁 カブ菜汁 ネギ南蛮などなど
江戸の長屋は、台所設備が少なかったので単純な煮物 焼き物に人気があったのだ。
[漢方の心理学]まずは「心はその人の主体である」ということ
人間を一つの個体として外から見てみると、まず言えることはその人の心とはその人の主体であるといえる。主体とは自分の中に基準を持っていて、それに基づいて判断することである。人はそれぞれ自分の意思や目的を持っていて、やりたいこともある。そのように自律的な判断力を持っていて、それによって行動するものを主体といっている。ただ主体といってもさまざまな主体がある。
大きく分けると主体とは、2つの面(インプットとアウトプット)がある。1つめの主体は、「認識の主体(インプット)である」ということ。人は、外の世界のいろいろなものをその人なりに認識して、それをもとにして生きている。「きれいな人だなぁ。友達になりたいなぁ」などと認識をもとにして人は行動するようになる。次に2つめは「行動の主体である」といえる。一つ目の「認識の主体」によって、「何かをしたい」と心に願望・欲求・意図・目的をもつ。そして自分の基準にそって行動するのも自分の心である。きれいな人に花を贈ったり、手紙を書いて思いを告げたり。思いがとげられなくて、嫉妬して意地悪をしてしまったりするのもその人の心(主体)である。他人が人の性格を見るのに、その人がどう行動するかで見るのは、そのひとの主体(心)は外界をどう感じて(入)、どういう基準で行動(出)するのかを見て判断している。
東洋医学では、心を『神(しん)』と言っている。「神」の広義的意味では、生命エネルギー活動全体(顔色や仕草など)を指していて、元気なのか病的なのかなどが外に現れた徴候をさしていう。が、狭義では、思惟・意識活動(心・主体)をさしている(神明ともいう)。
納豆とネギは漢方の風邪薬(葱豉湯)なんだよ
今週は妻が実家に帰っているので、
私は独身なんである。
独身というのは、時間が自由に使えるし、
やりたいことも自由にということ。
妻が帰った次の日に
(日曜日)朝の入浴では、身体の右半分を洗って
昼間は手話の講習会に行ってたんだ。
そして帰ってきての入浴で、また左半分を洗ってみたが、
半分洗うのって、かえって時間がかかるのに気がついたよ。
次の日から全身を洗ったら、入浴が一回ですんだんだ。
などと日々を遊んでいる。
というのはおいといて、今日のお昼は、なんと納豆ごはんだよ~。
納豆にネギのみじん切りをたっぷりかけて、ごはんの上にかけて、
半熟卵をのせて、グジュグジュグジュってしてから、かき込みま~す。
このね。納豆とたっぷりネギは、葱豉湯(そうしとう)という漢方の風邪薬なんだね。
頭痛・発熱・さむけなんかに効くし、風邪の予防に持ってこい。
私は風邪ひきさん達とよく話す仕事なんで、予防に昼飯はこれを食べるんだよ。
おいしいぞ~。明日から少し薬膳の話しをしようかなぁ。
[養生・薬膳]暦のズレと日本の各地の気温・湿度で、養生法もかかり易い病気も違ってくるよ
暦では、春って立春から立夏までを指していうし、夏は立夏から立秋まで、秋は立秋から立冬まで、冬は立冬から立春までを言うんだよね。
でもね、暦の発祥の地、周の洛陽(中国の内陸)と東京では、季節の移り変わりに1~2か月のズレがあるんだ。
東京(平均気温)では、暑い季節(夏)が6/27~9/18の2.7ヶ月続き、寒い日(冬)は12/4~3/20の3.5ヶ月続くよ。だから春は3/21~6/26まで、秋は9/19~12/4までってことになるね。立春(2/4)とは一月半春の訪れが違うんだね。うん。
それと各四季にある土用(古い季節が死に新しい季節が生まれる)だけど、これも1~2カ月ぐらいのズレが生じてくるよ。
漢方の養生法は、中国から来た「黄帝内経」っていう本を基にしているんだよね。
たとえば[素問・四気調神大論]には、「春三月これを発陳という‥夏三月これを蕃秀という‥秋三月これを容平という‥冬三月これを閉蔵という」とあるんだ。一年の流れを「生・長・化・収・蔵」の特性に分けて作られているんだよね。
でもこれって、ズレを考えながら養生もやっていかなくちゃおかしくなる。うんうん。
あとね,問題は日本列島って細長くて中央部分が山で盛り上がっているでしょ。
日本の気候も大きく分けて6区分あるんだよね(小学校の時に習うはず)。
例えば、北海道の気候の特徴は「冬が長く寒さが厳しい。つゆがなく降水量が少ない」し、日本海側の特徴は「夏は晴れの日が多く乾燥し、冬は雪や雨が多く湿気も多い」し、太平洋側は「夏はむし暑く雨が多く湿気も多い。冬は乾燥し晴れの日が多い」などなど。
漢方では、天の気を「風・寒・湿・燥・熱」の5つの要素に分けているんだよね。これが身体に悪く影響を及ぼすと、身体の中に「邪(じゃ)」が生まれる(悪さしないものは正気という)
そして地の気(地上の気温や動植物を育てる気(エネルギー))から育つ野菜や薬草などを使って、身体の邪を外に出したり、消したりして身体の平行を保つんだね。
たとえば(東京では)秋には冷えが入ってきやすく、台風などの湿気も高くなるので、身体の中の邪は「寒湿」っていうカタマリになって、身体の気血津液の流れを悪くするので、痛みが起こりやすく、膝や足をむくませたりする季節なんだよね。
(もちろん日本各地で気候が違うので傾向は違うと思うが)だから温めて身体の余分な水気をとる、長ネギ、生姜、シソ、ミョウガ、ニラ、ニンニクが食事には欠かせないよ。毎朝、納豆に長ネギを入れて食べるのもいいし、長ネギの味噌汁や雑炊は、秋の天の気から身体を守ることになるんだね。
東京シティガイド 手話サークルに参加したよ
昨日は手話の練習会に行ってきたよ。
東京シティガイドの手話サークルに入ったんだ。
田町で集まって、近くの名所にいったよ。
イタリア大使館や三井倶楽部、慶応大学を見学。
講師の方にまずは50音を教えてもらったけど、
覚えるのが多すぎて頭が熱くなったよ。
帰ったら、ぐったりしていた。座学は疲れるなぁ。
これって、誰にも褒められないし、使うところもないんだけど
まぁ、教養って言うことでw
NHKの「みんなの手話」も見だしたよ。
テレビの講師の人が異常にテンションが高いのでびっくり。
今にも飛んだりはねたりしそうな勢い。
手話って、みなさんこんなテンションで話すのかな?
妻がぎっくり腰から復活
月曜日の朝に、妻がぎっくり腰になったよ。
トイレにもいけないみたいで、
やっとこさイスに座ったら、動かくなった(口だけは動いてたけど)。
おらは仕事に行くので、テーブルに杖とおらのお手製弁当をおき
リモコンと飲み物を用意した。
そして五積散と桂枝茯苓丸を飲ませた。
急に寒くなって雨も降ってたからね。
「行ってくるけど、薬は一日4〜5回のんでネ」と言って仕事場に出かけた。
昼頃「お弁当美味しいよ」って電話があったが、
たまっていたビデオを見続けているらしかった。
夜に帰ると朝いた椅子に座ってた。
昼寝もしたみたい。
2日目にはだいぶ回復した。
「風と同じだから、3日はかかるよ(3〜7日かもね)」とおらの予想。
痛みは、はじめが10とすると3ぐらいになったって言ってた。
汗かくぐらい暖かくして寝るのだよ。と、レトルトカレーをおいて出かけた。
あとで聞いたけど、好きな洗濯も(重いものは持たないでねって言ったのに)したみたい。
3日目にだいぶ動けるようになった。そして徐行気味だが通常運転に移行。
妻が動けないと、その家は止まるのだぁ。ゆっくり動き出したよ
妻の存在に、感謝、感謝。